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北久保まりこ ライブ活動

 発表作品・鑑賞文 歌人北久保 まりこ

これまでに雑誌に発表してきた短歌、鑑賞文、その他などご紹介します。

※出版社より依頼を受け、寄稿した短歌・鑑賞文などです。  

角川書店 短歌

 

2011年10月号
角もつ子馬

火の中に笑ふ顔見き悪神か亡母か己かさだかならねど

こころ病む人を想へばわがうちに育ち始めぬ角もつ子馬

躁鬱の大き振り子の空色を観てしまひたり君の吊り床(hammock)

癒されし瞳の藍に映りしは女神に非ず ただ女なり

しばらくをならぶ楓でをりませう愛ゆゑ互ひを危めぬやうに

このおもき一生(ひとよ)なげうつためなるや夜に入り滝のいきほふばかり

隠り世の使ひなるらむゆふらりと子馬に翼さづけに降りる

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2010年6月号
骨を洗ふ手

越南の少女は笑めり「洗骨の習はしがまだのこつてゐます」

山祇(やまつみ)に見守られをり 柔らかき地に眠りゐし骨を洗ふ手

幾重にもひかり奏でし水の紋 生死はゆるゆるまぎれゆくなり

煩悩を脱ぎ去る順を待ちゐるや骨たちは死の後を生きつつ

燐の火の隠れしあたり姫菱が小さき刺もつ果実を結ぶ

亡母を思へば肺のあひだの暗がりにみちて来りぬ水のあかりは

月光にたつ虹淡しわたくしに降り止まざりき洗骨の文字

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2009年6月号
木のねむる音

木より生与へられゐてわれも生木に与へたりセコイアの森

 

この森を危めたくなし明け方の霧のわく音木のねむる音

露まとひ鎮もる下枝ひんやりと三千年の巨木は立ちぬ

頂から吹き下ろす風 赤杉の神がゆるゆる眼ひらくや

その瀬音幹にかそけし逆らはず争ひもせぬ千の年月

細胞の内に緑雨の気は充ちぬ仙女になりてしまひたくなる

潤へる樹樹の時間をありがたうカタバミの花供へて帰る

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2008年4月号
水鹿の耳

山の靄にひたりしわれは樹となりて立てり はるけき水鹿の声

われの手も足も小さくなり果てぬ竜のうろこの跡を追ひきて

微睡みの中に食むごと蓮霧(リェンム)なる果実はゆるき甘さをのこす

昼の渓夜より深しとろとろとかじかねむるか明るむあたり

水滴の水面にふれて交ざり合ひ川としてゆくこれより先は

水鹿の耳にて聴かむこれまでにききしものの音ぬぐへる瀑布

丹田に長く仕舞ひてゐしことも放たむか ゆるる青柳の枝

七十年前の少女も笑みゐたりタイヤル族のヤン婆の眼に

(タイヤル族:機織技術に優れた台湾原住の人々)

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2006年10月号
紅色匂玉

熊蝉と沢の蛙の住む処 だれもわたしを知らないところ

からまりし金糸ほどけぬ二万キロの星座空間メールにうめつ

くり返し悲しき夢をみぬやうに紅色匂玉(べにいろまがたま) 手首に下げる

雨の浜も悪くはないね真黒なラブラドオルに耳うちをする

柚子の皮すりおろされて香りたつわたしもこんな風ならいいな

右足の爪先ばかりつまづくはたぶん左と気まづいからか

脱走を遂げし男よ押しかへす風よりも沖の光のやうだ

皿洗ふ音聞きながら皿洗ふもう割らないわもうをはらない

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2005年9月号
琴鳥が鳴く

住み着いてしまひたくなるこの森に雨しみとほりまた朝がくる

雨を呼び雨に応ふるものの声わたしのなかに居るもう一人

すがた無き琴鳥が鳴くステテシマヘステテシマヘヨヒトノヨナンカ

少しづつ育ちゆくものわがうちに回転をする光をはなつ

その傷のふかさは知らぬままでよい しづかに問ひぬ角砂糖の数

見下ろせど落ちゆく先の視えぬ滝 何の実の毒かわれにまはりし

ゴンドワナ大陸なりしころの風おもはせて響く祖(おや)たちの笛

わが殻を破りてゆかむもう一度生まれてごらんと声がきこえる

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2004年9月号
蚊柱に入る

狂人のわれに会ひたる夢のあと音たてて洗ふ若布ひとかぶ

水槽のみづは黙せり疲れたる脳(なづき)よりひとつ泡ののぼり来

山道に耳を澄ますに夜の杉は乳白色の霊を吐きゐる

星星へむかふ蛍よ手のうちの死者のたましひをはこびゆくのか

冥府へも通じるらしも大き蛾を引き寄せてゐる電話ぼつくす

気付かずに蚊柱に入ることなども死すれば現(うつつ)の思ひ出ならむ

若き日の母を思ひき爪紅(つまべに)のむらさきひとつ手の平にのせ

郭公のことば知らねど亡き母の宿るがに鳴く落葉松林

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2003年5月号
樹皮に耳を

鳥の眼の高さ愉しもとこまでもゆるされし天おほらかなりき

まなしたの緑さわぎて鳥たちぬ生命の水を光らせながら

樹皮に耳をあてて聴きしはとほき日の記憶か母のせせらぎに似て

母の老いて追憶の霧に憩ふことおほくなりたりあをき火のもゆ

ゆれる海ゆれる思ひに立ちつくす引き返せない いのちまるごと

夕刻はその道に誰かゐる気配 二月の雨のなまあたたかし

をさな子の声を聞きしか空耳は木漏れ陽をすこし悲しくさせる

さんざめくこずゑの水よ影までも光ふふめる命いとほし

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ながらみ書房 短歌往来

2010年5月号
自然を詠む・撮る・描く
タイトル「ノスタルジア -ヴェトナム-」

黒黒と土は黙せり枯れ果てし密林に神はゐたのだらうか

空芯菜(クウシンサイ)油炒めを食む真昼とほく農夫が火を焚いてゐる

郷愁へつづく煙景 水田に砂の色せる水牛の角

その後をながらへし老いの両の手にドリアン暗く熟れるヴェトナム

ゆふづつを観むとて出でつ古き血の匂ひは露地にふくらみにけり

流されず過去はしづみぬ 天の川寝釈迦のやうに映せるメコン

ささやかなひと時なるらむ現世は 岸辺に消えし蛍帰らず

下龍(ハローン)湾と湾内の石灰洞・四首

漏刻の主は女神か石筍の細き少年育まれゐつ

石灰洞に昔の時のよどむらし微睡んでゐる羊歯のひと群れ

下龍(ハローン)は霧を産む湾いにしへの銀の鱗をどこかに匿す

海上にカルストそびゆ深林を追はれし神をたづね来れば

遠目には頭骨めける山売りのジャックフルーツ 地平の埃

微かなる叫びを空に聴きたるや海鳥の羽に裂かれゆくとき

野良仕事帰りの黄牛五六頭のおたりのおたり車道をゆきぬ

隠りゐし霊いくたりか目覚めたりぬるき湿度が川面におりる

いつからか懐かしく見ゆる蛍なりわが守りたきものを無くして

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2006年6月号
水よーよー

水溜りから雲が出てゆくやうにしてあの朝父は居なくなりたり

そんなこと取るに足らぬとボサノバが耳たぶのへりをすべりてゆきぬ

たかだかと掲げられゐし肩車だれなりしやあのおほきなる手は

すもも酒 夜ごと夜ごとに赤くなれ母体にまろくわらべは肥ゆ

生まれ出でたしと思はずただ生まれ出でたるままに魚の泳ぐ

ねぇといふ声の届いてゐた頃を思ひ出させるこんな晴れの日

水風船ひとつふたつとつきたる日父も母もゐきひかりのなかに

照り陰るひとの心のいく襞をこゆればたどり着けるだらうか

たわい無きやりとりののち癒えゆきて駆けてかへらむからつぽの空

久びさにささくれ痛し天上のわが父母は笑みたまふらし

戯言のごときくりごと自らの死にも気付かず揺り椅子ゆらす

父を歌ふことを休まむ今日ひと夜父をもつ子のふりして眠る

百年後のわたしを掬ひあげてゐる両手に一杯の熱もてる砂

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2004年8月号
ひだる神

をはらない夏のけだるさ夜の水は拭はぬままに光らせておく

密にして茂るままの木したにてわれに宿るや夏の夜のみづ

茉莉花(まつりくわ)のかをりたちくる夜の坂ひとりの時は神もつやめく

まとひつく昨夜(よべ)の風ありまだわれは決めかねてをりみづの行方を

分け入るをアヅマネ笹は拒めるに野の双眼のわれに戻り来

想ひとげず逝きたる人のこゑかとも指のかたちに咲くグロリオサ

眼うらに光のこしてもう見えぬ谷の魚よ 恋のようなり

スコールを受くべし両の胸うちにアジアの土よアジアの幹よ

すれ違ひし黒衣の妊婦ひだる神なりしかやはく海のかをりす

わがうちの谷川に落つる滝ひとつのこしてゆきし君といふ人

ゆうらりと光を胎む水中の亡き母に問ひたき鈍色の闇

あの世とはどの世なるらむこの世との境のふいに曖昧となる

短命と言はれゐしわが手のひらに野薊の棘の刺さる快感

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2003年3月号
砂丘の時間

巨いなる砂の時計に迷ふごとときをり砂の数多降り来ぬ

流星の余韻しいんと冷えわたりわれも時間もみえなくなりぬ

たたなはる時の風紋のてりかげりうしなはれゆく記憶の蛇行

砂山に足をとられてはためける布の一部になりたり我は

風紋にひかりのうねり もう二度と思ひ出されぬだれかの名前

まつすぐな欅並木のその果てにベージュにけむる死・・・のやうなもの

現身とへだてなく死を思ふとき土埃して過去おしよせぬ

「おほむかしあなたは海だつたのでせう」細胞のなかにさわぐ水たち

砂嵐ひとつでわれの虹までも奪はれることいとも容易し

アンダンテ・カンタービレを聴きながら羽化してみたし雨あがる夜

ちぢみたる羽をのばしてゆく時間はばたく時間 弦楽のやう

とまらないかなしみの水 わたくしを保つさいごの弁かもしれず

癒えぬままむかへる春に微かなれどなにかうつろひゆくを予感す

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2002年2月号
星と土とカンガ タンザニア、ルカニ村にて

椰子よりもバナナの多く見えはじめ村近付きぬ 赤土の道

ゆっくりと過ぎてゆく時間 老人は木下の椅子で手をふりており

訪れし小学校の校庭にわれの両手をうばいあう子ら

ルカニの夜あふるる星座それぞれに奏でていたり聖霊のこえ

いくつかは星残りたる夜明け前 ルカニの空の霧のしずけさ

チャパティとチャイ * に始まる村の朝 霧のむこうの牡牛の声

市場にてカンガ ** を値切る村人の群れのひとりにまぎれていたり

イモ、キャベツ、バケツに笑顔はずみたり市場帰りの荷台のうえで

荷台にて手をふるわれに走りよる村の子供ら星の子のよう

バナナの葉ぱらぱらならす風の窓「元気でいます。タンザニアにて」

やわらかくおもく眠りにおちる時 星のてまえで椰子の葉そよぐ

なつきたり痩せ犬村を去る朝もくびかしげつつ我を見ている

頂はジュラルミン色のキリマンジェロ荷台より見る村を去る朝

花も樹も人も家畜も土くさく生まれしままにうつくしかりき

靴うらの赤土はあえて落とさずに旅のおわりの段をくだりぬ

*  チャパティとチャイ:クレープとミルクティ

** カンガ:パレオのように巻き付けて着る布

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2003年8月号 短歌往来(ながらみ書店)
今月の視点

つぎにくる波

 幼いころから何気なく、五音七音に親しんではいたが、歌と本気で向き合うようになったのは、ほぼ十年前。口語が短歌に積極的に取り入れられるようになり、軽くうたうことが当たり前になり始めた頃のことである。以前、長く引きずられ続けてきた「私」の問題についても、すでにすっかり安定した後の時代。手軽に歌を始められるお膳立てがすべて整い、川本千栄氏のことばを借りれば(「短歌研究」四月号・時評)「最初からそこにあった」状態からのスタートであった。心地良くまるで呼吸をするような、自然で軽やかなうたいぶりに、手招きをされるがごとく短歌に入っていった若者たちも多かったのではないだろうか。言ってしまえば、恐ろしく安易に歌を始めることができるタイミングであった、ということになる。

 しかし、過去の歴史を知らなければ、国を語ることはできないのと同様に、これまでの道程を視野に入れることなく、ライト路線で走りつづけることは無論できない。それどころか、私のようなタイミングで安穏と歌を始めた人間は、かなりの危険をはらんでいるということをも、肝に命じておかなければならないのである。

 また、ここ数年、私はどちらかと言えば、重い内容の歌にひきつけられ、自らも詠おうと努力するようになってきたことに気づき始めている。表現者である私たちは、それぞれの表現の扉(絵画、詩歌、舞踏、音楽など)は何であれ、同じ時代に生きている者として、国際社会的な時代背景も無視することはできない。

 同時に、自らの作歌にあたり、激変する世相のただ中で、短歌でなければできないことを追い求めてゆきたい、と思うのである。例えば、表面的なもののうしろ側に見え隠れする思念などを。いわゆる〈写実〉を、ここで批判しているのではないことは言うまでもない。現代は、それぞれが個性の柵の上空に、とうに過ぎ去ったライトヴァースの次に来るものを、感じ取っている時代と言えるのではないだろうか。

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本阿弥書店  歌壇

2012年3月号 アンソロジー2011
テーマ別私の一首 800氏 テーマ「生」

火の中に笑ふ顔見き悪神か亡母か己かさだかならねど

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2011年9月号
銀の指さき

包みこむ阿古屋のこころ瑟瑟と哀しみの層玉となるまで

大洋(おほうみ)を隔て来し愛その若き優しさ 強さ 脆さまばゆさ

傷おひし椰子の実ひとつ抱きをり光ふふめる両の翼に

君の手に操られたる小型機の雲なる時間 雪より白し

信ずるは愚かなるらむさうならば時に愚かなわれにもならむ

しあはせの器の外に育ちたり太陽のごと其を恐れつつ

星雲のうしろに隠るる幸ひの滴つなぐや銀の指さき

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2011年3月号 アンソロジー2010
テーマ別私の一首 800氏 死

 

山祇(やまつみ)に見守られをり 柔らかき地に眠りゐし骨を洗ふ手

 

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2010年3月号 アンソロジー2009
テーマ別私の一首 800氏 風土(都市・街・故郷)

 

バリバリと時間の層を剥がしゆき何もなくなる解体現場

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2009年3月号 アンソロジー2008
テーマ別私の一首 800氏

 

もう五年経つんですね柚子切りの蕎麦を啜れる亡母ははと居た席

 

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2008年3月号 アンソロジー2007
テーマ別私の一首 800氏 自然

酒になる前の葡萄のひと粒が幼い眼をして助けてと言ふ

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2007年3月号 アンソロジー 2006
テーマ別私の一首 800氏 家族

 

水溜りから雲が出てゆくやうにしてあの朝父は居なくなりたり

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2006年3月号  アンソロジー 2005
テーマ別私の一首 800氏 生

少しづつ育ちゆくものわがうちに回転をする光をはなつ

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2005年3月号  特集アンソロジー 2004
テーマ別私の一首 800氏 死

この刺を抜けば止まらぬ血の量(かさ)を思へば抜けず抜かねば死ねず

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詩歌句 北溟社

「詩歌句」年鑑2011

その後をながらへし老いの両の手にドリアン暗く熟れるヴェトナム

黒黒と土黙しをり枯れ果てし密林に神はゐたのだらうか

ゆふづつを観むとて出でつ古き血の匂ひが露地にふくらみにけり

遠目には頭骨めける山売りのジャックフルーツ 地平の埃

隠りゐし霊いくたりか目覚めたりぬるき湿度が川面におりる

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雁書館  現代短歌 雁

2003年12月(冬号)56号
アンケート特集 アンソロジー『私の代表歌』

おちてゆく夕陽の重み 頭(ず)の内にぶあついガラスのわれる音する

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梧葉 短歌総合新聞

08年夏号(vol. 18)
現代作家新作5首 空とよびし日

父の死を知らずにをりし歳月をうづめる雪が欲しきこの夏

海の気がめぐりに充ちぬ月面図ひらきしままに眼閉づれば

落葉松の吾に沁むるなり七月の水をたたへておりてくるそら

死ののちは樹心に棲まむ月光の中に魑魅(すだま)の子らと遊ばむ

揺るぎ無きなにかがありき輝けるものを仰ぎて空と呼びし日

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短歌雑誌Eucalypt

No.32 July,2011
E-News

月光にひたる竹林 童神が貉(むじな)に化けて母を呼ぶなり

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鑑賞文・その他

歌誌くれない≪寄稿≫2011年
沖縄体験集(渡嘉敷&伊江島)

 

沖縄戦についてまだ詳しくは知らなかった私を受け入れ、平和を望む環の一員に加えて下さった沖縄の皆様に感謝し、稚拙ではあるがこの小文をお捧げしたいと思う。

 

[渡嘉敷島 −祈りの心で−]

 「絶滅が危ぶまれる花なんですよ。」もう少しで見逃してしまいそうだった俯きがちな白い花を、ガイドさんが指差して教えてくれた―琉球千鳥蘭。よく観ると蘭特有の気品があり、小さいながらも凛として風情がある。渡嘉敷島にはその他にも、薔薇の原種を思わせる可憐な琉球薔薇苺の花や釣鐘草に似たサイヨウシャジンなど、自然のままの緑の中に、楚々と咲く花々がそこかしこにあり、初めて訪れた私を出迎えてくれた。

 二月、この辺りはいつもなら雨の日が多いのだそうだが、麗らかな青空が広がっていた。

 しかしそれとは裏腹に、私が受けとめなければならなかったのは、あまりにも陰惨な史実だった。

 集団自決…それは恐らく、敵に八つ裂きにされるよりも辛い、あまりにも酷い現実であったろう。否、軽々しく“辛い”だの“酷い”だのという言葉で片付けてはいけない。

 恐らく彼らは、死して尚忘れられぬであろう。自らの子に、時には乳児にまで手をかけざるを得なかった親たちの地獄を。また、老いた父母の、祖父母の弱々しい首筋に、縄を又は縒った草をかけた時の恐怖に震える己の手を。

 彼らは、それまでの努力も成功も挫折も、そして手にしていた慎ましやかな幸いさえも、無残に抉り盗られた。この世に生を受けて以来の記憶のなかの、光の明滅のすべてを、そしてそれらを包み込む人生そのものを否定させられたのである。

 飛び散る肉片が、血の海がそうさせたのか、私はその地に立った時、突然の腹痛に襲われた。しかし、歩を進められぬほどではなかったので、ゆっくりと友たちの後に続いた。

 間もなく「アリラン慰霊のモニュメント」に到着すると、遠くに小鳥の声が聞こえ、程よい日差しが心地よかったが、それゆえにかえって歴史の物語る悲惨さが胸に迫った。

 ガイドさんが、空色のモザイクで彩られた小ぶりのテラスをさし、「ここでは踊りや歌が披露されることもあるんですよ。」と言うと、皆が私にも朗読するようにと促した。突然の提案で、何の用意も無かったが、祈りの心を精一杯にこめて自作の短歌を朗読した。すると、普段パフォーマンス中には流したことの無い涙が溢れ、先ほどからの痛みも次第に消え去った。悲しめる魂たちを、少しでも慰めることができたのならば良いが…。ここは、唯々ひたに≪祈りの心≫でのみ訪れることの許される地であると、肌で感じた。

 今からかれこれ十五年も前のことになるが、私が初めて息子を連れて沖縄を訪れた際、一番に見せたのは、瑠璃色の海でもなく、野生のヤマネコの愛らしい写真でもなかった。

 空港から直に向かったのは、ひめゆりの資料館、そして摩文仁の丘だった。今でもそれは間違ってはいなかったと思う。沖縄は、そしてこの渡嘉敷は、何人たりとも祈りの心を忘れて、訪れては欲しくないところなのである。

 本島へ戻るフェリーの座席で、今日一日を思い返し、デジカメ画像をチェックしていると、船内にアナウンスが響いた。「進行方向右前方に鯨を確認いたしました。」聞き終わらないうちに、私たちはデッキの手摺にしがみ付いていた。必死で懲らす肉眼に、悠然とした大きな鰭が見え、海原に雪のように白い飛沫が上がった。ああ、自然は、そして生きものは何と美しいのだろう。人間がこんなに醜い戦に明け暮れている間にも、花は咲き、動物たちは命を繋いでゆく。文明を築いたヒトが忘れ去り、思い出せぬ大切なことは、創造主に創られたままに、必要なだけを食べ、質朴に生きることではなかったろうか。

 

・絶望が火を加速する 殉死するために生まるる命など無い

・ラグーンに浮かぶ安らぎ 文明のつけた名前を知らないクラゲ

 

[伊江島「ヌチドゥタカラの家」を訪ねて]

 山鳩の声ものどかな、緑深い伊江島の里に≪ヌチドゥタカラの家≫

 資料館はある。雨上がりの土の香が、初めて訪れた私の心を和ませ、何か懐かしい気持ちにさせてくれた。

 しかし、資料館の扉を開け、室内に一歩踏み込んだ時のあの衝撃を、脳裏から拭い去ることはできない。そこには、都会的な博物館などには無い、胸ぐらに掴みかかってくるような迫力があった。天井から吊るされた裂け目の目立つパラシュート、血だらけの乳児の肌着、大量の軍服、軍靴、弾丸、至る所からたってくる匂い。ガラスケースに納まること無く、まさにそこに在るモノたちから発せられる累累としたおびただしい念…。それらに、完全に押し潰されそうになりつつ、それでも部屋の奥へと進んだ。

 「ここは、独りで来てはいけない場所だった。」という思いに襲われながら。でも、なぜか同時に、「否、独りではない。今私はあの戦争を知っている亡祖父母、亡父母、四人の亡伯父等と共に此処に立っている。」という、確信に近い不思議な感覚もあった。

 今回の伊江島訪問は、歌人の先輩であり信頼する友でもある玉城洋子氏の提案により実現した。これまでに、アブチラガマ、ギーザバンタ、佐喜真美術館、渡嘉敷島、県立図書館、宮森小学校に足を運び、今後もさらに認識を深めようとする私に、「次には是非、伊江島へ。」とのアドバイスだったのだ。折しも「この島は沖縄戦の全てが語られている」と書かれた文献を、県立図書館で閲覧したばかりでもあった。そんな訳で、滞在中にぽっかりと予定の空いた一日を無駄にする手は無いと、早速朝から高速バスとフェリーを乗り継いで出掛けたのだった。

 九年前に他界された阿波根昌鴻氏の養女・謝花悦子氏は、病院通いのお身体でありながら、私に二時間以上もの時を費やし、非暴力を訴え続けたここの創設者、阿波根氏について話して下さった。その穏やかではあるが芯の通った語り口にお養父様から受け継がれた生き様を垣間見た思いだった。

 さらに私を感動させたことは、氏が生涯の目標として掲げておられた聖書の箇所が、私が最も好きな箇所として諳んじていた所と重なっていたことだ。キリスト教信者でなくても解り易い内容なので、ここで引用したいと思う。

 

 ※愛は寛容であり、愛は情け深い、またねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、全てを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える<−後略−>
(コリント前書十三章より)

 

 ご承知の様に男女の愛ではなく己を犠牲にする愛をさし、人のあるべき姿を説いている。

 広い宇宙の中で、生命誕生のための希少な条件を満たしたこの星を「愛に満ちた星」とすることが、私たちにとって困難な、もしくは不可能なことであるのなら、それほど悲しむべきことはない。出会った者同士が殺し合うのではなく、出会えた奇跡に感謝し、お互いの素晴らしさを分かち合えたなら、と考えるのは、私やJ.レノンだけでは無いだろう。

 

・行かないで人を殺めに行かないで背中の羽も抜けきらぬ子等

・ほほ笑みを交せる奇跡 地球上たつた百年ほどの一生(ひとよ)に

・この星にともに生れし偶然よ木木も獣も魚もヒトも

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「心の花」(結社誌)2009年10月号
[心の花] 佐佐木幸綱の一首 歌集『直立せよ一行の詩』より

 

握り飯を食いつつ見ている一滴の水に写れる世界のかぎり

 

 掲出歌は「水」と題された二十四首の冒頭の作である。一連には、過去十年間に作者を残して逝った友人知人ら(岸上大作、伊藤栄治、高橋和巳、小野茂樹、三島由紀夫)の死にふれ、彼らの無念や、自らが生きること、歌うことに対する思いを綴った次のような文章が添えられている。
「(前略)生者にとっては絶対である死の世界からの彼らの働きかけに、言いわけし、許しを乞うみっともなさに自ら耐えることも、生きること歌うことを選ぶ者に必然な、生き恥、歌い恥なのだ。」
 死者を意識した作品に、大きく心揺さ振られた。まず、極小レンズのような「一滴の水」に焦点をあわせてみる。すると、私たち生物が生命を維持するために不可欠であり基本的な、食するという行為が見えてくる。またそこには、作者が気にも留めていないような些細な諸事の一切と、時間のながれさえもが存在していた。あたかも、本人が気付く以前から設置されていた、盗撮カメラのように。
 このことは、何気ない日常に隣り合わせている、死者たちの視線をも連想させる。もしかすると彼らは、それを通してこちら側を観、なにがしかの「働きかけ」を、無言のうちに試みているのかも知れない。
「絶対である死の世界」からすれば、生にしがみつく私たちは、さぞ滑稽で情けない姿として映ることだろう。この歌は、作者がそれを認め、背負って生きていく覚悟を固めた第一歩に他ならない。
 ここで、関連のある作品を一首引いておきたい。

 

わが歌をすなわち生きる恥として若葉の中に溺れたきかな

(歌集『夏の鏡』より)

 

 なんと骨太で、心地の良い歌なのだろう。この歌からは、掲出歌の根底に流れていた概念が、さらに深められた後の、作者の「生き恥、歌い恥」に対する、心理的な脱皮が感じられる。それを諦念としてではなく、肯定的にとらえて引き受け、達観した心境で堂々とうたうことにより、読者にこのうえない爽快感を与えられるのだと思うからである。
 ここ十数年間で、身近な親族のほぼ全員が他界した私にとって、<死>は遠い出来事ではなくなっていた。ふとした瞬間に、たとえば庭に大水青がやって来るように、いとも自然に音もなく、それは舞い降りるものだ。帰りつくよりどころを失い、独り「恥」を抱えて日々を送ることに慣れてしまっていた私には、こうした作品に出会えることが、共有する安堵感を得、またポジティブな思考へいざなわれるという意味で、大きな救いでもあり、幸いなのである。

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2008年11月号  歌壇(本阿弥書店)
「歌集・歌書の森」
大石道子句歌集『あかさたなあかさかな』

 

 「あとがき」に「白い糸で綴じたものが死後にそっとみつかる、というのが憧れ」だったとある。
 米国・バーモントの自然の中で詠まれた作品が、一ページに一首ずつ、英訳と見開きで、贅沢に収められている。
 作者の生きた温もりを感じさせる作品が目をひいた。


・温泉はなけれど我の湯船には肌柔らかな歌う子のいて
・あかさたなと兄が言えば妹があかさかな「赤魚」と歌う
・「みのむし」と寝言をいったといわれけり宙ぶらりんの自分をみたか
・近道のはずが田舎の道にでて山美しく遠回りする
・かすかなる風のあしあと落ち葉道
・冬の雨おかめいんこのひとりごと

 

 また、心の中にみちてきた思いを、二つの言語で表すことで、この一冊を受け入れる読者の幅が、どれだけ広がるかを作者は知っている。
 そして恐らく、それによるリスクを引き受けることも、覚悟しているのだろう。
 私は、和英対訳歌集を編む一人として、彼女の静かな、しかし勇気ある一歩にエールを送りたい。
 今後は、この穏やかに呼吸するような詠いぶりに、揺るぎない個性が加わり、さらに完成されていくことを、心から祈っている。

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2008年11月号  歌壇(本阿弥書店)
「歌集・歌書の森」
竹本忠雄著『祈りの御歌』

 

 これは、二千六年パリで出版された皇后陛下美智子様の御歌の仏語訳、御歌撰集『セオトーせせらぎの歌』(五十三首)に、世界から寄せられた反響を綴ったレポートである。
 その一部を紹介すると、フランスのシラク前大統領より、〈和歌のもつ息吹の力と、魂の昂揚力とが絶妙に表現されている〉と賞賛の便りが届いた。また、同国の隔月誌『新歴史評論』主幹のD.ヴェーネル氏は、同誌・特集「日本のサムライ」の中で、〈これらの調べこそ、つつましき情感をもって歌われた永遠の大和魂への讃歌である〉と語っている。
 絶賛の声は、はるかアフリカ大陸からも聞かれた。ルワンダで、青少年育成に力を注ぐO.デュクロ氏は、〈アフリカもまた、霊に重きを置く文明なのだ〉としたうえで、〈コトダマと呼ばれる崇高な精神を宿している御歌を、アフリカ中に伝え、青少年の情操に役立てるべきだ〉と講演した。すると、それに感動した、ルワンダ大学前教授は、御歌のポルトガル語訳にも乗り出したという。
 興味深いのは、自ら仏語訳を手掛けた著者が、〈詩の翻訳とは、詩人と形影相伴う仲での影である〉と述べている点である。そして、一読者である私も、原作・日本語の放つ神秘性を再認識し、深い敬意を感じずにはいられなかった。
 斯くして、日本から発せられた慈愛と祈りの言霊は、言語、国境を越えて世界と響き合い、今もなおその波紋は広がり続けている。

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2006年8月号 歌壇(本阿弥書店)
◆トピックス◆ 短歌・俳句フェスティバル at バンクーバー


 五月のバンクーバーの空は、透明な水色をしていた。日本から一人で訪れた私を迎えてくれたのは、針葉樹の匂いと野生の栗鼠だった。

 雪を頂いたカナディアンロッキーを遥かに望むUBC(ブリティッシュコロンビア大学)が、今回の会場である。案内された宿泊棟はこざっぱりとした寮で、五泊六日の滞在は、遥々赴いた留学生の気分で始まった。

 初日に開かれたパーティで、五・六十名の参加者が顔を合わせた。殆どがカナダ、アメリカ在住の短歌や俳句の愛好家である。互いに著書の紹介などを交わすうちに、和やかに打ち解け心地よい滑り出しとなった。

 時差も手伝い、目蓋が重くなってきた夜十時、連句の会は始まった。私は出発前から、日程表のRenkuの文字がとても気になっていた。まず、本来なら五七五の次は七七と続けてゆくものを、英文でどうやるのか?要となる<捌き>を努める人間は居るのか?大体、英文で連句が楽しめるものだろうか?
 しかし蓋を開けて、彼らの認識の深さに感服してしまった。まず、捌きがきちんと発句を提示し、次の句の指示を出したのである。発句が<三行>で次は<二行・春の花の句>という指示だった。集まった十五・六名は、挙ってそれに挑んだ。私は、彼らに失礼な考えをもっていたことを恥じながら、一生懸命に作った。一首でも捌きの目に留まる句が作りたい・・・連句の楽しみは言語の違いを超えていた。どこからともなく月桂冠の一升壜が出てくるあたりも、日本人が旅先でする連句宛らであった。
 月の句、恋の句と皆で夢中になって作り進むうち、時計の針は深夜一時を回った。それでも一向に終わる気配も無く、誰も席を立たない。ここで日本人が寝てしまうわけにはゆかぬと私も頑張った。結局、二時半を回ったところで三十六首を完結し、全員から拍手がわき起こった。
 駆け足の連句ではあったが、彼らの熱意に対し、ありがとうといいたい気持ちになって床に就いた。
 私の今回の旅の目的である短歌朗読は、最終日の日程に組まれていた。翻訳から意味をくみとるだけでは得られない何かを、ぜひ彼らに感じとって欲しかった。
 具体的な方法としては、まず日本語で一首読み、五七の音を感じて貰う。次に英語で読み、内容を理解して貰う。そのうえで、もう一度日本語で読み、韻律を味わって貰う、という三部構成で行った。
 内容は対訳歌集『On This Same Star』より人間の愛・生・死という普遍的なテーマの作品と、二十年前のチェルノブイリの事故に因んだ作品の、合わせて二十五首である。
 実際に読み始めると、聞き手の感動がジンジンと伝わってきた。国内で、これまでに何度も朗読をしてきたが、これほどの手応えと一体感は初めてだった。その情熱に突き動かされ、心の深みから朗読してゆくと、たくさんの魂が会場内で大きな渦になったような気がした。
 そして「また聴きたいから来年も来て欲しい」と言われたことと、何人もから、熱っぽく”emotionalだった”という感想が得られたことが、この上なく嬉しかった。実際、廊下ですれ違う面々に、次々にハグされるほどの反響は、私自身想像もしていなかったことである。
 これからも望まれれば、可能な限り出掛けていって、こうしたパフォーマンスを続けていきたいと思う。そして何より、国籍、性別、年齢を問わず、心と心に響き合う歌を作り続けたいと願っている。

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2006年4月号 短歌(角川書店)
生誕100周年特集「今だから木俣修」

歌集『谷汲』より


生きてあらば二十七歳その母に言はんとぞして口を噤みぬ
(夏・哀傷 澄高禅童子二十年忌より)


 長男・高志の二十年忌に詠まれた歌である。幼いわが子に先立たれた心情は、察するに余りある。時を経ても 癒されぬ喪失感が、作品から滲んで止まない。

 親族や近しい人たちを、相次いで亡くした修にとって、高志の誕生は、闇に差す光そのものであっただろう。しかしその新しい命までも、たった数年で奪われるという悲運に、見舞われてしまったのである。

 毎年命日が巡る度に、修と「その母」は、あの夏の日へと引き戻される。二人は、現実の日々を生きながら、もう一つの、二十年前に止まってしまった時間を、抱えているのである。そして、「生きてあらば」と、その歳の頃を思い、青年になっているはずの子の姿を、霞のようにみるのであった。死者と生者の間に横たわる、混沌とした時を通して、無限の奥行を感じさせる作品である。

 修は、「その母」に言いかけたうわ言のようなことばに「口を噤み」、止まった時の振り子の前に蹲っている。そしていつしか、一読者である私も、その動かぬ時を共有していることに、気付かされたのであった。

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2006年3月号 短歌現代(短歌新聞社)
特集・斉藤茂吉を受け継ぐために

「40代歌人による40代の茂吉 一首鑑賞」


友とともに飯に生卵をかけて食ひそののち清き川原に黙す
(『遍歴』より)


 茂吉がドイツに留学して二年目の作品である。この背景には、父の他界と関東大震災という、突然の相次ぐ悲報があった。

 「飯に生卵かけて食う」という独特の食文化が、単なる郷愁以上の、深い切なさを感じさせる。そして結句の「黙す」から、やり場の無い重苦しさと、語り合ってもどうにもならぬ、という諦念が伝わってくる。

 この歌が詠まれた大正十二年、母国とドイツとを隔てていた感覚的な距離は、今とは比較にならぬほど遠かったであろう。

 そして懐かしい味覚は、幼い頃に慣れ親しんだ風景や、面差しをも思いおこさせる。

 後には、ただ祈ることしかできなかった茂吉の無力感が、粉雪のように降るばかりであった。

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2004年11月号 歌壇(本阿弥書店)
五感のよろこび23

ビバ・タンザニア

 未知の食材に出会う、というのも旅の楽しみのひとつである。

 アフリカ大陸の東岸のほぼ中央に位置する国、タンザニア。私は知人のつてでこの国に旅して以来、その魅力に取り憑かれ、翌年に再び訪れたのだった。

 農村の民家に滞在するという日程は、ごく普通の観光旅行として赴いた一度目とはわけが違った。旅立つ前に「何を出されても、恐れずに口に運ぼう。さもないと極東からの珍しい来訪者に対して、給仕してくれる現地の友に失礼になる」と自分に言い聞かせた。そして、心のなかで「頼むから虫だけは勘弁して下さい」と祈りながら飛行機に乗った。

 今回の私の滞在地であるルカニという村は、キリマンジャロの麓にあった。首都ダルエスサラームから、バスとトラックの荷台を乗り継いで延々と赤土の悪路をゆく。始めのうちは荷台で弾みながら笑っていた仲間が、弾みすぎて眠くなるころ、バナナやアボガドの樹が多く見られる村に到着した。朝晩は羽織るものが必要な爽やかな高原の気候だった。

 カウラという気立ての良い黒人女性が、滞在中の食事の世話をしてくれた。私は翌朝から彼女を手伝いたいと台所に立ったが、出国前の心配は全く不要であった。虫どころか、あまりに美味しくて驚いてしまったほどだ。主食は、玉蜀黍の粉から作るウガリという餅のようなもので、トマトシチューをつけて頂く。また、クミン、シナモン、カルダモンなどの香辛料をふんだんに使って、肉や野菜とともに炊き込むピラウはご馳走として格別であった。

 料理法もさることながら、野菜が本来の甘味や旨味を十分に備えていることが大切なのではないだろうか。日本でも手に入れたいと思ったのは、ムチーチャという青菜だ。明日葉とほうれん草の間のような味が忘れられない。

 何とも食い意地の張った旅行者で恥ずかしいが、是非また訪れて新しい食の発見をしたいものである。

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