ながらみ書房 短歌往来
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2006年6月号 水よーよー
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水溜りから雲が出てゆくやうにしてあの朝父は居なくなりたり
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そんなこと取るに足らぬとボサノバが耳たぶのへりをすべりてゆきぬ
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たかだかと掲げられゐし肩車だれなりしやあのおほきなる手は
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すもも酒 夜ごと夜ごとに赤くなれ母体にまろくわらべは肥ゆ
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生まれ出でたしと思はずただ生まれ出でたるままに魚の泳ぐ
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ねぇといふ声の届いてゐた頃を思ひ出させるこんな晴れの日
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水風船ひとつふたつとつきたる日父も母もゐきひかりのなかに
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照り陰るひとの心のいく襞をこゆればたどり着けるだらうか
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たわい無きやりとりののち癒えゆきて駆けてかへらむからつぽの空
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久びさにささくれ痛し天上のわが父母は笑みたまふらし
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戯言のごときくりごと自らの死にも気付かず揺り椅子ゆらす
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父を歌ふことを休まむ今日ひと夜父をもつ子のふりして眠る
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百年後のわたしを掬ひあげてゐる両手に一杯の熱もてる砂
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2004年8月号 ひだる神
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をはらない夏のけだるさ夜の水は拭はぬままに光らせておく
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密にして茂るままの木したにてわれに宿るや夏の夜のみづ
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茉莉花(まつりくわ)のかをりたちくる夜の坂ひとりの時は神もつやめく
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まとひつく昨夜(よべ)の風ありまだわれは決めかねてをりみづの行方を
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分け入るをアヅマネ笹は拒めるに野の双眼のわれに戻り来
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想ひとげず逝きたる人のこゑかとも指のかたちに咲くグロリオサ
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眼うらに光のこしてもう見えぬ谷の魚よ 恋のようなり
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スコールを受くべし両の胸うちにアジアの土よアジアの幹よ
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すれ違ひし黒衣の妊婦ひだる神なりしかやはく海のかをりす
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わがうちの谷川に落つる滝ひとつのこしてゆきし君といふ人
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ゆうらりと光を胎む水中の亡き母に問ひたき鈍色の闇
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あの世とはどの世なるらむこの世との境のふいに曖昧となる
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短命と言はれゐしわが手のひらに野薊の棘の刺さる快感
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2003年3月号 砂丘の時間
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巨いなる砂の時計に迷ふごとときをり砂の数多降り来ぬ
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流星の余韻しいんと冷えわたりわれも時間もみえなくなりぬ
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たたなはる時の風紋のてりかげりうしなはれゆく記憶の蛇行
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砂山に足をとられてはためける布の一部になりたり我は
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風紋にひかりのうねり もう二度と思ひ出されぬだれかの名前
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まつすぐな欅並木のその果てにベージュにけむる死・・・のやうなもの
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現身とへだてなく死を思ふとき土埃して過去おしよせぬ
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「おほむかしあなたは海だつたのでせう」細胞のなかにさわぐ水たち
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砂嵐ひとつでわれの虹までも奪はれることいとも容易し
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アンダンテ・カンタービレを聴きながら羽化してみたし雨あがる夜
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ちぢみたる羽をのばしてゆく時間はばたく時間 弦楽のやう
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とまらないかなしみの水 わたくしを保つさいごの弁かもしれず
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癒えぬままむかへる春に微かなれどなにかうつろひゆくを予感す
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2002年2月号 星と土とカンガ タンザニア、ルカニ村にて
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椰子よりもバナナの多く見えはじめ村近付きぬ 赤土の道
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ゆっくりと過ぎてゆく時間 老人は木下の椅子で手をふりており
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訪れし小学校の校庭にわれの両手をうばいあう子ら
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ルカニの夜あふるる星座それぞれに奏でていたり聖霊のこえ
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いくつかは星残りたる夜明け前 ルカニの空の霧のしずけさ
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チャパティとチャイ * に始まる村の朝 霧のむこうの牡牛の声
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市場にてカンガ ** を値切る村人の群れのひとりにまぎれていたり
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イモ、キャベツ、バケツに笑顔はずみたり市場帰りの荷台のうえで
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荷台にて手をふるわれに走りよる村の子供ら星の子のよう
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バナナの葉ぱらぱらならす風の窓「元気でいます。タンザニアにて」
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やわらかくおもく眠りにおちる時 星のてまえで椰子の葉そよぐ
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なつきたり痩せ犬村を去る朝もくびかしげつつ我を見ている
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頂はジュラルミン色のキリマンジェロ荷台より見る村を去る朝
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花も樹も人も家畜も土くさく生まれしままにうつくしかりき
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靴うらの赤土はあえて落とさずに旅のおわりの段をくだりぬ
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* チャパティとチャイ:クレープとミルクティ
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** カンガ:パレオのように巻き付けて着る布
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2003年8月号 短歌往来(ながらみ書店) 今月の視点
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つぎにくる波
幼いころから何気なく、五音七音に親しんではいたが、歌と本気で向き合うようになったのは、ほぼ十年前。口語が短歌に積極的に取り入れられるようになり、軽くうたうことが当たり前になり始めた頃のことである。以前、長く引きずられ続けてきた「私」の問題についても、すでにすっかり安定した後の時代。手軽に歌を始められるお膳立てがすべて整い、川本千栄氏のことばを借りれば(「短歌研究」四月号・時評)「最初からそこにあった」状態からのスタートであった。心地良くまるで呼吸をするような、自然で軽やかなうたいぶりに、手招きをされるがごとく短歌に入っていった若者たちも多かったのではないだろうか。言ってしまえば、恐ろしく安易に歌を始めることができるタイミングであった、ということになる。
しかし、過去の歴史を知らなければ、国を語ることはできないのと同様に、これまでの道程を視野に入れることなく、ライト路線で走りつづけることは無論できない。それどころか、私のようなタイミングで安穏と歌を始めた人間は、かなりの危険をはらんでいるということをも、肝に命じておかなければならないのである。
また、ここ数年、私はどちらかと言えば、重い内容の歌にひきつけられ、自らも詠おうと努力するようになってきたことに気づき始めている。表現者である私たちは、それぞれの表現の扉(絵画、詩歌、舞踏、音楽など)は何であれ、同じ時代に生きている者として、国際社会的な時代背景も無視することはできない。
同時に、自らの作歌にあたり、激変する世相のただ中で、短歌でなければできないことを追い求めてゆきたい、と思うのである。例えば、表面的なもののうしろ側に見え隠れする思念などを。いわゆる〈写実〉を、ここで批判しているのではないことは言うまでもない。現代は、それぞれが個性の柵の上空に、とうに過ぎ去ったライトヴァースの次に来るものを、感じ取っている時代と言えるのではないだろうか。
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