歌人 北久保 まりこ
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歌集・歌人紹介 歌人 北久保まりこ

    この度、 2003年に他界した母の挽歌が多く読みこまれている私の第三歌集『ウィル‘WILL'』が英訳される運びとなりました。翻訳を担当してくださったアメリア・フィールデン氏との出会いは、1999年私が第一歌集を出版した年に遡ります。彼女は同年日本滞在中に、歌集『波のことばで伝えたい』と偶然出会い、たいへん好感をもって下さいました。以来、オーストラリアに暮らす彼女との交流が始まったのです。

    胸のなかに漠然とえがいてきた作品の英訳という夢が、これほど早くに実現するとは思ってもみなかったことでした。

    この歌集によって、日本語圏以外の国のより多くの方々も広く短歌に親しみ、興味を抱いて頂けるよう心から祈っております。

2006年 北久保まりこ(「On This Same Star」前書きより)

「波のことばで伝えたい」 北久保まりこ

発 行:  1999年

タイトル: 「波のことばで伝えたい」

出版社: アートランド

代表歌:

思い出になってしまった少年のソプラノ星の神話のように

君と居るつもりになって目を閉じる すこしの間あたたかくなる

幾億のしずかな星のちからにて夜ごとにのびる少年の丈

書評: 外塚 喬氏  角川書店 短歌 2000年1月号

歌集というよりも、詩集というイメージの強い一冊である。各タイトルの前に、モノクロの写真が入って いる。これがいい。作品への導入と、イメージの拡大に一役買っているからだ。(後略)

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「音楽がおわる時」 北久保まりこ

発 行:  2002年

タイトル: 「音楽がおわる時」

出版社: ながらみ書房

代表歌:
おちてゆく夕陽の重み 頭(ず)の内にぶあついガラスのわれる音する

タンザニアの地名愉しも“ンゴロンゴロ”地図の中から転がり出ぬ

アフリカの満点の星の宙(おおぞら)へわれ身投げしてしばらく遊ぶ

書評: 古谷 智子氏  角川書店 短歌  2003 年 2 月号

詩的な発想がぴったりと定型律の中に収められていて、ゆたかな才気を感じさせる。春日井健の影響を受けた語彙も散見され、精神の純粋さゆえに感じ易く、傷つきやすいという青春性が色濃く漂っている。それを開放するようなタンザニア原野の連作がやはり強い印象を残す。

外塚 喬氏  ながらみ書房 音楽がおわる時(帯)

この歌集の圧巻は、何といっても「遠い地平を見る瞳」に収められている、アフリカでの歌である。的確な描写に裏打ちされた歌。そしてまた、心的な現象としてとらえられている歌。一見相反するようでいて、 どちらも北久保さんの息づかいが伝わってくるような歌である。

野村 喜和夫氏  ながらみ書房 音楽がおわる時(帯)

そうふつうの人は「空が痛い」とはいわない「眼が痛い」というであろう「空が痛い」というのはあきらかに自傷のひとの感覚であり内と外とを転倒させた叙景のひずみであり同様にガラスは「頭の内」でこそ割れるのだ

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「‘WILL'」 北久保まりこ

発 行: 2005年

タイトル: 「'WILL,」

出版社: 角川書店

代表歌:
はださむき朝に気づきぬ母にもうこのつぎの夏はないといふこと

ガラス戸のすみにあたる陽 書きさしの手紙のこして母逝きたまふ

雷鳴も夕立もすきわたくしを根こそぎつれてゆく夏がすき

書評: 丹波 真人氏  短歌新聞社 短歌現代  2005年7月号

主題のはっきりした歌集である。(中略)全体的に流れる大きな特徴は、主情的というか感情・気分を全面に出して詠い切る強さがある。

青木 陽子氏  ながらみ書房 短歌往来  2005年8月号

思考の深化の見られる作品に、歌に対する著者のひたむきな姿勢が感じとれる。(中略)自らの直感によって、その時時の心情を重ねて詠む自在さに、若々しさと優れた才気を思う。

有本 倶子氏  角川書店 短歌現代  2005年6月号

深い喪失感は心に深い闇を作り、この魂の闇は、失ったものを求めて、喘ぎ、漂う。(中略)しかし、その空虚な半身を歌に埋めて、作者は深く生きてゆくのだろう。

外塚  喬氏  角川書店 ウィル'WILL,(帯)

天に召されてしまった母を詠い続けることで 母との絆を永遠なものにしようとする 北久保まりこの 歌は、慈愛に満ちている。歌に思考の深化が見られるのも 魅力の一つであり、心うたれる。

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「On This Same Star」 北久保まりこ

発 行: 2006年

タイトル: 「On This Same Star」

出版社: 角川書店


楽天ブックスで購入
アマゾンで購入

Pacific Asia Museum(米国カリフォルニア州)のショップ店頭でもご購入いただけます。
>>詳細は、こちら

    この度、 2003年に他界した母の挽歌が多く読みこまれている私の第三歌集『ウィル'WILL,'』が英訳される運びとなりました。翻訳を担当してくださったアメリア・フィールデン氏との出会いは、1999年私が第一歌集を出版した年に遡ります。彼女は同年日本滞在中に、歌集『波のことばで伝えたい』と偶然出会い、たいへん好感をもって下さいました。以来、オーストラリアに暮らす彼女との交流が始まったのです。

    胸のなかに漠然とえがいてきた作品の英訳という夢が、これほど早くに実現するとは思ってもみなかったことでした。

    この歌集によって、日本語圏以外の国のより多くの方々も広く短歌に親しみ、興味を抱いて頂けるよう心から祈っております。

2006年 北久保まりこ(「On This Same Star」前書きより)

 

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「Cicada Forest」 北久保まりこ

発 行: 2008年

タイトル: 「Cicada Forest/蝉の森」

出版社: 角川書店


紀伊国屋ブックウェブで購入


Pacific Asia Museum(米国カリフォルニア州)のショップ店頭でもご購入いただけます。
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アメリア・フィールデン氏の温かい後押しもあり、様々な方々のお力を得て、第一・第二歌集から、そして既に対訳歌集が出されている第三歌集からもいくらかを選び、新作を含む和英対訳歌集『Cicada Forest』がカタチとなりました。
短歌に興味をもち、また愛してくださる海外の方々にも、ひろくお楽しみいただけることを願って止みません。

2006年 北久保まりこ

 

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北海道新聞 (2005年5月7日)
「物のある歌」 筆者:故 菱川 善夫(文芸評論家 元北海学園大教授)

おだやかに灰は降りつづく廃村に叫びのごときしづけさの照る

 <広川隆一写真展「チェルノブイリ・核の傷跡」によせて>の詞書があるように、「廃村」は、死の灰の降りつづくチェルノブイリ。その静寂を「叫びのごときしづけさ」ととらえた感覚が鋭い。悲鳴のこもった「しづけさ」は、言葉以上に人の心を撃つからだ。

 
菱川先生と。ながらみ書房 パーティ会場にて。

故菱川先生と。ながらみ書房 パーティ会場にて。

セシウムやストロンチウムを含有せし乳房かなしもをさな児を抱く

 大気中にたまった「セシウム」や「ストロンチウム」が灰とともに振りつづけ、体内で放射線を出して白血病の原因となるけれど、写真は、その危険な物質を「含有」した「乳房」をとらえているのだろう。「ガンユウ」という硬い言葉の響きが、引き返すことのできない運命の重さを感じさせる。  こういう悲劇的な核の時代に生きているから、逆に神話的な世界のゆたかさを思わずにはいられない。

 

天空よりみずをみちびくindra(インドラ)の爪先はときにいなびかりする

 「インドラ」は、インドのベーダ聖典に現れる雷霆神(らいていしん)。武勇の神として悪魔プリトラを退治し、人間界に水をもたらす神として知られている。稲妻を、そのインドラの「爪先」の光と見ているのだが、インドラのもたらす水は、はたして「廃村」にも生命を復活させることができるのだろうか。

「ウィルWILL」(二〇〇五年 角川書店)。一九五九年東京生まれ。東京都三鷹市在住。

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北海道新聞 ( 2002 年10月27 日)「物のある歌」
筆者:故 菱川 善夫(文芸評論家 元北海学園大教授)

つつやかな野生馬の背より立ちのぼる体熱 われは君へ倒れる

 馬の美しさは背すじにあるが、ここに描かれているのは「野生馬」。その野生馬の背から立ちのぼる「体熱」を、みずからの体熱として感じとっているのがこの歌。あえて「野生馬」をもってきたのは、作者の根底に人為を拒否する反文明の思想がひそんでいるからであろう。その野生馬の体熱もろとも、「君へ倒れる」愛の表現にも、力へのあこがれが息づいている。

 出所せし男は川を抱くように吾を抱きしまま眠りにおちぬ

 体熱をあずけた君が、「出所せし男」というのも、歌の世界では異例といっていい。刑期を終えて刑務所を出た男を登場させているのも、法的な規制の外に夢を求める精神があってのこと。ここで女は「川」の役割を果たしているが、ここにも川の浄化力への信頼が生きている。

 こういう作者が、アフリカの大地にひきつけられるのは、きわめて自然なことだ。

 悪霊か神かマサイの美少年 つややかなからだは絹の光沢

 マサイ族はわたしの螺旋にはいりこみ跳躍しながら朱い輪となる

「マサイの美少年」を「絹の光沢」とたたえ、彼らの踊りは、「朱(あか)い輪」となって、「わたしの螺旋(らせん)」を回りつづける。生命の輝きと無限運動。新しい音楽が始まったのだ。

 「音楽がおわる時」(二〇〇二年、ながらみ書房)。一九五九年東京生まれ。東京在住。

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歌人北久保まりこについて これまで多くの先生方にご紹介していただきました。

About the Poet:
Written by Amelia Fielden
(Poet and Translator of the modern Japanese Tanka)

Mariko Kitakubo is a poet who lives in Tokyo . A member of the Association of Contemporary Tanka Poet, and the Sakujitu Tanka Society, Kitakubo is active in writing and performing. To date she has published the following tanka collections:

  • I Want to Tell You in the Words of Waves (1999, Artland)
  • When the Music Stops (2002, Nagarami Shobo)
  • “Will” (2005, Kadokawa Shoten)
シドニー郊外 A.フィールデン氏ご自宅にて

シドニー郊外 A.フィールデン氏ご自宅にて 英和対訳歌集のお話しが決まった瞬間です

As a performance poet, she has appeared more than 20 times, commencing with her poetic perform in the Marathon Reading at Hama Rikyu Garden in Tokyo in 2000. In September 2005, Kitakubo gave a reading to music of her own tanka for the audience at the launch of Amelia Fielden's Still Swimming collection in Camberra , Australia .


Kitakubo and Fielden are scheduled to perform their work together at the Haiku and Tanka Festival in Vancouver, Cananda, in May 2006.

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